「愛の商品化」は可能か? 非モテ問題は本質的に解決不可能である。

 青識亜論さんの「ポルノグラフィは福祉である ~「性の商品化」礼賛論~」と題する記事を読みました。

 

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 非常に明快かつ刺激的な論考で、つまりは「性の商品化」は性的弱者に対する福祉である。したがってそれは肯定されるべきだ、ということだと思います(あくまでぼくの理解です。間違えているかもしれないので、くわしくは上記のリンクから本文をお読みください)。

 もし仮に、人には異性ないし同性から一対一の愛情を注がれることによってしか救われない一面があるという前提に立ち、なおかつ恋愛におけるパートナーの選択を個人の自由に任せるのなら、必ずその自由恋愛市場における敗者、絶対に救われない人間が出現することになります。

 ここでは、その「救われない人間」を非モテと呼び、その救済不可能性を巡る問題を非モテ問題と呼ぶことにしましょう。

 青識さんは非モテ問題は「ポルノグラフィ」によって解決されるべきであるし、また解決可能であると主張しているように思えます。その論旨は、基本的には正しい。ぼくもそう思います。

 ただ、「性」と「愛(承認)」が同じ文脈でひとまとめにして語られていることがやはり気になる。「性の商品化」は可能でもあり、また実際に行われているのに対し、「愛の商品化」は根本的に不可能だと考えるからです。両者は別ものなのです。

 もちろん、ある程度のところまでは愛も「商品化」されてはいるでしょう。青識さんの語っている通り、かれんなアイドル歌手たちはファンのひとりひとりに変わらない愛を語りかけているのだろうし、アニメやゲームの世界では非現実的な美少女たちが「あなたを愛している」とささやきかけてくる。

 それらはたしかに「愛の商品化」、あるいは「承認の福祉」といって良いものだと思います。ただ、これも青識さんが自ら書いていることですが、その「愛」はどこまで行っても「偽物」で「疑似的で、欺瞞的」なんですよね。

 ほんとうはだれもがわかっているように、アイドルが顔も知らないファン個人に特別な愛情を抱いているはずもないし、物語のなかの登場人物は画面の向こうのユーザーがどこの何者であるのかすら認識できない。

 もし、その種のビジネスが「愛の商品化」を目ざしているとするなら、それはどこまでいってもイミテーションビジネスでしかありえません。

 個人的にはそれらのビジネスの魅力は「愛の商品化」だけではないと感じるので、「愛の商品化」が原理的に不可能だとしてもそれらのビジネスの魅力そのものが「偽物」だとは思いませんが。

 また、もちろん、「偽物」だから悪いとは一概にいえないでしょう。「本物の愛」が流通量が限られた貴重な資源であり、決して全員には行きわたらない以上、「偽物」にも十分な価値がある。

 だから、ぼくは「偽物」に満足し、これで十分だ、と思っている人、あるいは「本物」以上に「偽物」が好きな人、また、「偽物」に対し不満はあるがとりあえずはそれで我慢できると考えている人などに対し文句をいうつもりはまったくありません。

 皮肉ではなく、もし「偽物」で満たされるならそれは素晴らしい人生でしょう。

 ただ、だからといって、

 

愛に飢えた人の腹を満たすために、私たちは性を商品化しよう。

松下幸之助の水道理論よろしく、性愛を水道水と同じぐらいありふれたものとして、

あまねくすべての非モテたちに供給される社会を作ろう。

生産技術の高まりにより、手作りの料理とコンビニ食品の差がゼロに近づいたように、

社会の進歩は、いつしか愛も本物と偽物の区別がつかない時代をもたらすだろう。

 

 とまでいわれると、ぼくの私見としては、「そんな日が来るはずはない」としかいいようがありません。「偽物」はどんなに精巧にできていてもやはり「偽物」に過ぎません。「本物」とは明確に区別できる。

 たしかに、近いうちに人間と区別がつかない二次元のキャラクター、あるいは三次元のロボットすらも実現するでしょう。そういう存在たちはいかにも迫真のリアリティを持って真実の愛を語りかけて来るでしょう。

 それでも、ぼくたちはほんとうは知っているはずなのです。それはあくまでも限りなく良くできた「偽物」でしかない、と。そうである以上、「本物と偽物の区別がつかない」などということはありえません。

 あるいは、人工知能を搭載し自意識を持ったロボットが誕生すれば話は別かもしれませんが、その種の事態は現時点ではやはりSF的な想像に留まる。

 とりあえずいまのところは、CGがどれほど精巧になろうが、ヴァーチャル・リアリティがどんなに現実的に見えるようになろうが、「偽物の愛が本物になる」ことはありえないものと断言できます。

 したがって、非モテ問題は本質的には解決不可能で、どうにかごまかすしかない、ということになります。そのごまかしのためにアイドルやフィクションを含めた「ポルノグラフィ」が果たす役割はきわめて大きい。その意味で、そういった「ポルノグラフィ」はたしかに福祉だといえるでしょう。

 愛という名のレア資源が手に入らないプアな人たちをほんとうの意味で救うことはできないとしても、その痛みを軽減するために、「性の商品化」、そして「愛の商品化」は必然である、という結論は動かせません。

 しかし、どんなに技術が進歩しても、消費者自身が真実を知っている限り、「偽物」と「本物」の区分がなくなることはない。それが、ぼくのとりあえずの結論です。