ぼくが書きたいもの。


 ふだんからこのウェブログをご覧になられている方はとっくにご存知だと思うが、ぼくは物語が好きである。小説、映画、漫画、アニメ、演劇、落語、テレビドラマ――物語性のある表現手段は何でも好きだといっていい。

 その一方で、ぼくは小説も好きだ。これは、そこに描かれる物語が好きだというのとはまた違う。小説という表現手段そのものが好きでたまらないのだ。ごくあたりまえのことだが、「小説」と「物語」は同一ではない。物語のない小説もあるし、小説以外のかたちで語られた物語もむろん存在する。

 したがって、小説という表現手段そのものを愛好する人は必ずしも物語を愛さないし、物語を好むひとたちは必ずしも小説そのものに耽溺しない。が、ぼくは「小説」も「物語」も両方とも好きなのである。

 しかし――実は自分では「小説」や「物語」を書きたいとは思わない。書いているではないかといわれるかもしれないが、ぼくが書きたいと思っているものは小説でも物語でもなく、ただ魅力的な文章なのである。

 架空の出来事を綴っているか、現実のことを描いているか、それはあまり重要ではない。架空の出来事を描くことを選んだ場合、それはまさに物語とか小説と呼ばれるものになるのかもしれないが、結果としてそうであるとしても、ぼくの意識のなかでは違う。

 文章をより魅力的に見せようとして物語を採用した結果、たまたま小説と呼ばれるかたちに近いものが仕上がった、というだけのことなのだ。「小説」や「物語」を「文章」のために利用している、といえるかもしれない。

 あるいはたしかに小説であるとしても、ぼくにはそういった既存の枠に囚われたものを書きたくない、という気分がある。というか、そういった既存の枠にきっちり収まるものを書くことはぼくには無理だ、というべきだろうか。べつに非常に斬新な作品を書けるといっているわけではなく、ぼくはぼくなりのものを書くことしかできないという意味だけれども。

 で、まあ、このことはぼくが最近、小説論やシナリオ論の本を読みあさり、作劇の方法論を学ぼうとしていることと矛盾しない。使えるものがあればいくらでも使うつもりではあるのだ。

 が、いくらそういった方法論を学んでも、そもそも既存の小説や物語の枠に綺麗に収まるものを書こうとしてはいないのだから、既存の小説や物語の枠に収まるものはできないと思う。

 先述したように、そういったものが出来上がった場合、それはただの偶然である。ぼくにとっては小説もここに書き散らしている雑文も、同じように文章であり、そこに特別の境界は存在しないのだ。ただより美しく、より妖しく、より蠱惑的に、とそういったことだけを考えている。わかってもらえるだろうか……。

 『BREAK/THROUGH』に続く同人誌第二弾は、『BREAK/THROUGH』より小説部分の分量が増し、小説と評論の間の子のような作品になりそうなのだが、そういったシロモノが生まれてくることも、だから必然ではあるのだと思う。ぼくにとっては自然な形式なのだが、さて、読者諸氏はどう受け止めてくれるだろう。いまから楽しみでもあり、不安でもある。