視聴者からの批判とか、べつに受け入れなくてもいいと思うよ。


 先日、アニメ『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』が全12話で無事完結を迎えた、らしい。らしいと書くのは例によって地方在住のぼくには視聴できないからなんだけれど、その『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』のキャラデザ兼作監の赤井俊文さんがこんなことを書いて話題になっている。

人が誰か死なないと感動できないし納得いかないのね。
生き残るって感動はないのか。
戦争アニメを今後作る人は簡単だな。。。。

後、元仲間が殺しあうとか大人気でるよ!

 『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』の内容に絡む書き込みらしいんだけれど、まあ、大人気ないといえば大人気ないですよね。で、当然のごとく2ちゃんに晒されてコメント欄が炎上、大量の批判/誹謗コメントが集まっています。

 ま、じっさいには赤井氏を支持する内容のコメントも多く、完全な悪評だけにはなっていないのですが、それにしても悪意あるコメントの数々には「視聴者が製作者を批判することは許されるが、製作者が視聴者を批判することは許されない」という事実を思い知らされます。

 ぼくは受け手が作り手を批判するのと同じくらいには作り手が受け手を批判することも釈されるべきだ、と考えているので、多少違和感がある光景です。

 赤井氏に向けて心地いい意見ばかりじゃなく批判もきちんと受け入れなきゃ駄目ですよ、みたいなことを書いているひともいるんだけれど、それはそのまま視聴者にも跳ね返ってくる意見ですよね。

 製作者に対して「批判を受け入れろ」というなら、まず自分自身が製作者側の視聴者批判を受け入れなければならないはず。あいてにばかり「批判を受け入れろ」と要求し、じぶんはあいての批判を受け入れることを拒むのだとすれば、それはエゴに過ぎない。

 ぼくはね、製作者は必ずしも視聴者の批判を受け入れる必要はないと思います。万人に受ける作品を作れるはずはないのだから、どっかで切り捨てるしかないんだよね。

 もちろん、百人いれば百人に受け入れられたい、理解されたい、というのは一つの理想だし、そこをめざすべきではあるのかもしれないけれど、現実にその理想を達成できるかというとそれは無理。だから、作り手はじぶんにとっての最善をめざすしかないんです。

 そうして最善を尽くした作り手が受け手のセンスのなさや理解力の乏しさに苛立つということは十分ありえることだし、悪いことでもないとぼくは思います。それを言葉に出しても解決には結びつかないとしても、です。

 だって、どうしようもなく阿呆な視聴者っているわけじゃん。その意見をすべてはいはいそうですかと頷きながら聞くのが作り手の正しい態度だとはぼくは思わない。それは一見作り手の理想的な態度に見えて、実は逆に視聴者を馬鹿にした態度なんじゃないか。本当にあいてを認めていたらね、怒るべきときは怒るものです。

 赤井さんのこの発言が内容的に正当であるかどうかは『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』を観ていないぼくには判断できないんだけれどね。

 思うんだけれど、作る側に最高の作品を要求するなら、見る側も最高の視聴者でなければならないんじゃないですかね。だって、受け狙いの他愛ない作品を作った方が受けるならみんなそっち作るじゃん。深遠なテーマを描いても理解されないなら、だれもテーマなんて語らなくなるじゃん。

 ぼくたち視聴者は常に作品に試されている――そういう自覚を持ちたいものです。ただじぶんの欲望に合っているかどうかだけで作品を判断し、それに合わなければ文句をいうだけなんて、そんなの、悲しすぎるとは思いませんか?