『SWAN SONG』を解読する。


 先日のオフでは、かんでさん(id:kande-takuma)といっしょの部屋を取り、延々と話をした。

 色々な話題が出たのだけれど、そのなかでも、『SWAN SONG』にかんする議論は白眉だった。ふたりで熱心に話し合ううち、いままでこの作品が抱えていた様々ななぞが、ことごとく解けてしまったのだ。

 その内容はラジオで話したが、聴いていない人も多いと思うので、記事にしてみる。いうまでもなくネタバレありなので、ご注意を。

 さて、『SWAN SONG』が抱える数々のなぞのなかでも最も大きなものは、柚香の存在だろう。彼女は主人公尼子司の恋人なのだが、まさにその司のために、心に闇を抱えている。この柚香と司の関係性が、どうにもよくわからなかったのだ。しかし、いまならわかる。

 幼い頃、ピアノに没頭していた柚香は、心臓病を宣告され、演奏をやめるよう求められる。しかし、それでも挫折せず、命をかけてコンクールに出場する。そして、司のピアノに出逢う。

 数小節弾いただけで、私の自信は完全に打ち砕かれました。
 確かに私は夢見がちな少女でした。でも、だからといって、ただ甘美な死を思い、その幻想だけが私を決死のピアノ演奏に駆り立てたわけではなかったはずなのです。
 疲れ果て、気が狂いそうになるまでピアノと過ごした時間。厳しいと評判のピアノ教師が口元をゆるめて与えた賞賛。私がどこへいっても、まずピアノが評判になり、そしていつだってピアノをきっかけに温かいものを手に入れられる。そうした手応えのある実感の上に、私のピアノへの思いは作られていたのです。
 死を覚悟して演奏に望むと言うその張りつめた精神が、私をきっと未知の領域に連れて行ってくれると、そして素晴らしい演奏をさせてくれると、そんな期待は確かにあったのです。心臓を捨てれば、すごい演奏が出来るんじゃないかと。
 しかし、彼の演奏は残酷でした。それは私が想像もしたことがないような、素晴らしい演奏でした。到底、私が練習してきたものと同じ曲を演奏しているとは思われません。
 溜息だって出ません。彼の北極星の高みに比べれば、私の決意など、靴底を厚くするために命を捨てるような滑稽なものだと、気づかないわけにはいかなかったのです。私がたった一つしかない心臓を潰して、血みどろになりながらどうにか一歩前へ進んだとしても、彼の背中は遥か遠く地平線のむこうにあるんです。彼は私より一つ年上だからと、そう考えてみても何の支えにもなりませんでした。私の人生は、努力は、全て無駄なのだと、頭の覚めた部分が私に囁き続けるのです。自分がしてきたものを努力とか練習と呼ぶことさえ、顔から火が出るほど恥ずかしく思われました。

 数年が過ぎて成人したいまなお、柚香はこのときの絶望を抱えている。そして、彼女は自分が抱えている絶望を他者に「感染」させようとするのである。どういうことか。

 その前に、そもそも、絶望とは何だろうか。それはひとの意思をくじくある物理的な出来事「ではない」。この場合でいうなら、司の演奏そのものが絶望であるわけではない。

 その演奏を聴いて柚香の心が折れてしまったこと、一生かけてもかれの領域にはたどり着けないと決めつけてしまったことが絶望なのだ。

 もちろん、絶望にはそれなりの根拠がある。しかし、とにかく、司の圧倒的な演奏を前にして、柚香は敗れ去ってしまった。そして、彼女は自分の絶望を、周囲に共有させようとする。たとえば、大人になった司に。

 大地震によって崩壊した世界で、なお様々な悲喜劇がくりひろげられることに対して、柚香はこう言う。

「でも、それにしては、みんな、泣いたり怒ったりしますよね」
「それは、不安ですから、当然」
「でもおかしいじゃないですか」
「どうしてですか?」
「だって、本当に助からないのなら、そんなの無駄じゃないですか? 一生懸命泣いたり怒ったり、苦しい思いを重ねたって、どうせ甲斐なく死んでしまうんです。それなのに、どうしてそんな辛い勘定を持つんですか? 地震の前に生きていた、色んな人の希望や努力は、全部無駄になってしまったじゃないですか。それは結局、意味がないことだったんですよ。そんな深刻に考え込んだり悩んだりしたって、仕方がないんです」
「……」
「どうせ死んじゃうのなら、楽しいことばっかり考えて過ごせばいいと思いませんか? 争ったり、傷つけあったり、そういうのは、なんだか余計なことみたいです。平和に、明るく笑いながら生活すればいいんですよ。食べ物が足りなくなったとか、誰かが嫌なことをされたとかは、そういうのは、別に、もうどうでもいいじゃないですか。どうしてそんなことでむきになるんですか? 変にこだわって、生きている辛さをこれ以上増やさなくたって、いいじゃないですか。それなのに、いがみあって、わざわざ恐ろしいことを増やしている。なんでですか?」

 この台詞は、柚香の心のなかに絶望が巣くっていることを示している。そしてその絶望は、司に共感を求める。必死に苦しんで生きても無駄ではないか、すべてをあきらめて楽になるべきではないか、と。

 それに対して、司はこう答える。

「僕は、そんなに絶望しなくてもいいと思うんです」
「え? いや、絶望なんて……私、そんなのしてないですよ」
「違うんですか?」
「え、だって、でも……そんなの、尼子さんの気のせいですよ。いやだな」
「そうなのかな。だって、いくら難しい状況だからって、ちょっとでも生きるつもりがあるなら、ラクなんて出来っこないですよ。たとえ気休めだって、とんでもない間違えだって、無駄な努力だと解っていても、してしまいますよ。もがき苦しむのは仕方ないんです。それを辞めることが出来るのは、本当に何もかも諦めたときだけだと思うんです。希望を完全に捨ててしまえば、あとは笑ってればいいだけかもしれませんが……。僕の言ってること、間違ってますか?」

 司と柚香の姿勢の対立が鮮明にわかる場面である。そして、司は柚香のなかに巣くう絶望に対して、怒りを示す。

「あの……」
「なんですか?」
「あ、尼子さんさっきから怒ってますか?」
「怒ってないです」
「いやぁ、怒ってますよぉ」
「怒りますよ?」

 これは、柚香に対して怒っているのではない。あくまで、柚香を絶望させたものに対し怒っているのである。そんな司に対し、柚香はいう。

「だって、尼子さんになら、わかってもらえるかなって思って。私たち、ちょっと似てるような気がしませんか?」
「似てるかもしれませんが、でも、やっぱり違いますよ」

 たしかに、司と柚香は、同じ絶望に直面したという意味で、似ている。しかし、司があくまでもその絶望に対し立ち向かっているのに対し、柚香は既に敗北を認め、すべてを諦めてしまっている。このふたりは、思想的に正面から対立している。

 そんな彼らの対立こそが、この物語の軸である。柚香は自分のなかの絶望を司に「感染」させようとし、司は絶望に対する反骨心を柚香に「感染」させようとする。

 いわば、ふたりは思想的な綱引きをしていることになる。そして、司は決して絶望に膝を折ろうとはしない。そんなかれのことを、柚香はこう考える。

 久しぶりに出会った尼子さんは、昔とあまり変わっていませんでした。一目見ただけで、もしかしたらと、思い出してしまったほどです。本人は多分、自分はすっかり変貌してしまったと思っているのでしょうが、それは、全然違います。
 確かに、演奏は変わってしまいました。彼が聴かせてくれた、それは凄く上手な演奏でしたが、でも何かが足りません。上手なだけの普通の演奏です。片手で弾いてくれたのも、形だけは昔のようでしたが、やっぱりどこか違うのです。子供の時聴いたのがあの演奏だったら、きっと私はピアノをやめてはいかなかったでしょう。
 彼もきっと気が付いているはずです。いまの尼子さんの敵は、小さいときの彼自身なんだと思います。そうだとしたら、尼子さんの戦いはきっと敗北で終わるでしょう。やっぱり、あのときの演奏は普通の人間に出来ることではないんです。
 もしかしたら、彼はいま私が昔に感じたのと同じ恐怖と、戦っているのかもしれません。そう考えると、ざまをみろといった感じの意地悪な気持ちになってしまいます。でもそれはほんの少しだけです。それよりも想像してしまうのは、このまま彼が私のように敗北をしたら、やはりいまの私のようになってしまうのだろうかと、その情景です。全てを諦めてしまった彼を、見たいような、見たくないような。ただ、もし彼がそうなってしまったら、きっと私たちはずっと二人で居られるのだと思います。それは溶けた氷が水に混じり合ってしまうようなつまらない意味でしかないのかもしれませんが、平和で静かだとは思います。
 でも、それでもいまの尼子さんは、全体としては昔とちっとも変わっていないのです。昔と同じ、よくわからなくて、怖い人のままです。

 司は、絶望に対して決して敗北を認めないつよい意思を抱いているという点で、「昔とあまり変わってい」ない。そんな司が、柚香は「よくわからなくて」、「怖い」。

 そして、司を変えることができなかった柚香は、鍬形を変えようとする。鍬形は、そもそも、非モテで、オタクで、内気で、コミュニケーションが不得手な、平凡な若者だった。

 しかし、地震後の世界において、かれは過去の自分を乗り越え、コミュニティの非情な独裁者にまでのし上がる。そんな鍬形に対し、柚香は彼女なりのたたかいを仕掛ける。

 私は私のピアノを弾いてみよう。あのときの私を絶望させた尼子さんみたいにうまく弾ければいいけれど。

 具体的に彼女がしたことは、鍬形を質問攻めにすることだった。

 彼女の質問の内容は出身地、誕生日、血液型からはじまって、好きな休日の過ごし方、成績表で一番評価の低い課目についてまで、ボクのごくプライベートなことばかりに偏っている。

「辛かったんですね……」
 ボクが初めて人を殺したときの感想を話すと、彼女は辛さをにじませた微笑をつくった。
 質問はさらに深みを増し、ボクの深奥に達していた。
 問われるまま、ボクは洗いざらい自分の全てを打ち明けている。何でもかんでも話しすぎて、机の上にボクの内臓が引き出され、それをふたりで眺めているような格好になっていた。
 彼女はその内臓をつまみ上げては一つ一つボクに解説を求め、それを答えると、嬉しそうに笑うのだ。そして、ボクの内臓が、どんな醜い形をしていても、どんな不潔な色をしていても、それはボクが生きるために必要な器官なんだと感動をこめて肯定してくれる。ボクの汚くて悪くておぞましい内臓を、宝物を扱うかのごとく、大事にしてくれる。
 ボクは満ち足りた幸福な気分だった。体がぐにゃぐにゃになってとろけてしまいそうだ。ボクが他人に求めていたのは、こういう関係だったのかもしれない。

 ここで柚香が何をしていたのかわからなかったひとは多いだろう。ぼく自身がそうである。いまならわかる。彼女は鍬形を元の内気なかれに戻そうとしていたのだ。

 ひとたび自分の限界を突破したかれに対し、過去の自分を思い出させることで、限界を思い出させようとしていたのである。いうなれば、地を離れ、空を翔るようになった鳥に、「飛べるはずがない」と囁きつづけるようなものである。

 柚香は鍬形に向かってこう囁きつづけていたのだ。思い出せ、と。本来の自分を思い出すのだ、と。お前は本当はこんな人間ではなかったはずだ、思い切ったことは何もできない平凡な人間のはずだ、と。

 鍬形の愛人であり、かれを愛している希美は、この行為をやめさせようとする。

「やめて!」
 希美が憤怒の形相でつかつかと部屋に入ってくる。
「何をしに来たんだ?」
「鍬形さん、聞いちゃだめよ!」
 叫ぶなり、キッと柚香さんを睨み付ける。柚香さんはやや驚いた顔でその怒りを見つめている。
「お前は何を言ってるんだ?」
「やめてよ。もうやめてよ。この女、ひどいことをしているのよ。わかってるでしょう?」

 そう、柚香は「ひどいことをしている」のだ。

 オセロゲームを思い出してほしい。初め、自分に限界を設定し、絶望していた鍬形はいわば「黒」だった。しかし、かれは自力でそんな自分を乗り越え、「白」になった。

 ところが、柚香は自分の絶望を感染させ、かれをふたたび「黒」に戻そうとする。そして、鍬形は絶望する。かれはいう。

「これ、素晴らしいですね。本当に素晴らしい。みんなここで死ぬんだ。これが最良の結論なんです。小難しいややこしい問題も、苦しみも、不幸も、人間が全部死ねば消えてなくなるんですよ。いやなものって結局人間の脳みそのなかにしかないんですからね。全ての人間が死んで、全ての脳みそが壊れれば、苦しみも哀しみもないピュアでシンプルな世界だけが残るんです。人間みたいな中途半端な場所であがき続ける可哀相な存在はどこにもいない……カンペキで、理想的だ……そう思いませんか?」

 鍬形は「ひとを絶望させるもの」に負けた。そんなかれを、それでもなお、司は説得しようとする。つまり、自分のなかの「絶望への反骨心」を鍬形に「感染」させ、「黒」を「白」にしようしているのである。

 実は、司もまた、鍬形の絶望をよく理解している。なぜなら、それは、ピアノを弾けなくなったとき、かれの心に巣くったものに他ならないからだ。

「僕はわかってなんかいませんよ」
 ツカサ君は燃えさかる瞳でボクを見つめる。真剣な目だ。真剣にボクを見ている。
「ただ、僕もその感じ方をよく知っているだけです。僕は知っていることを言っているだけです。それはわかるってこととは違う。僕は知っているんです。その先には行き止まりしかないんだ」

 司はいう。

「だって、ほら、たとえば、人間はただ眺めるしかなかった月にだって行けたんですよ? 一人でやったんじゃない。大昔からの長い歴史が集まって月にロケットを飛ばしたんだ。今僕たちの頭上を覆う分厚い雲のはるか向こうまで行けたんだ。これは素晴らしいことだと思いませんか?」

 しかし、そんな司の説得は、再度起こった地震によって、中断させられ、鍬形は死ぬ。そのとき、司は吐き捨てる。

「くそ」
 そのとき私は、彼が他のどんな感情でもなく、怒っているのに気がつきました。
「馬鹿にしてやがる」

 どんなときでも冷静なかれが、汚い言葉を使うのは、作中、この一場面だけである。このときも、司は鍬形に対して怒っているのではなく、鍬形を絶望させたものに対して怒っているのだ。

 司は、この「ひとを絶望させるもの」、神、運命、あるいは世界と、延々とたたかいつづけてきた。かれは、ともにそれをたたかう仲間を欲している。鍬形なら、その仲間になれると、かれは判断していたのだろう。

 ひとは、このたたかいに、どうしようもない重苦しい絶望を知ることで参戦する。恋人である田能村を失った川瀬雲雀が、やはり絶望したことがあった。

「もういいよ。こないで」
 川瀬さんは、手を動かして、あっちへ行けというジェスチャーをした。あろえが、それと同じ手の動きを返す。
「あたし、もう疲れちゃった」
「川瀬さん?」
「ほらみてよ、雪がすっごく白くてキレイだね……。あたし、これに埋まりたいな……」

 その雲雀に対して、司は語りかける。

「僕は子供の時、手を怪我しました。そして、前のようにピアノを演奏することが出来なくなったんです。川瀬さんも、これは知ってますよね?」
 川瀬さんの目蓋がわずかに動いた。聞いてはくれているらしい。
「そのとき、父さんは僕にもうピアノをやめろと言ったんです。どうせ無駄だからやっても仕方ないって。医者も元のように動くとは一言も言ってくれませんでした。実際、今になっても何一つ良くなってはいない。だから確かに、僕のしていることは無駄なんでしょうね」
「……」
「このままピアノなんか続けていたって、僕の一生はただ無駄な努力を積み重ねるだけのもので、なす事もなく死んでしまうのかもしれませんが僕はそれでもいいと思っています。もし多くの人が、生きていることの意味は幸福なのだと考えているのだとすれば、僕は、そういう普通のあり方とは随分離れてしまっているのでしょう」

 そして、自分の父も、やはり「ひとを絶望させるもの」に負けてしまったのだと、司はいう。

「僕はいつも傍で父さんを見ていました。多分、父さんの一番良くない癖は、女癖ですね。彼は気分が苛立つと、すぐに女の人を呼んで、人目、というか僕の存在なんかおかまいなしにセックスをしていました。子供のときは普通のことなのかと思っていましたが、これって随分変わってますよね?」
「今になって思うと、あれは怯えていたんですよ。こわくてこわくてたまらなくて、楽しくもないのにメチャクチャに遊んで、そうやって一日一日を誤魔化しながらどうにか生き延びていたんです。逃げたくたって、逃げられないし、誰の助けも期待できない。父さんの苦しみって言うのは心の内側にあって、僕も含めて人間はみんな彼の外側にいるんですから。音楽に対する恐怖とか、そんなの他人にはどうしようもありませんよ。父は結局、そうやって音楽に対して負けを認めてしまったと思うんですが、でも、許してくれるってわけでもなかったようです。父は土下座をして、さらにその上から頭を踏みにじられていたようでした。孤独な上に絶望的だったんです。それがどういうことか、わかりますか?」

 そして、かれはやはり怒る。

「僕はいやでした。無性に腹が立ってしかたがなかった。それは、負けてしまった父に対してなのか、人をこれほどみじめな場所に突き落としてしまう何かに対してなのか、わかりません。とにかく、むかついていました」

 それで、どうしたか。

「だからって何も出来ない。だれも父を救えなかったように、僕も父の戦いを手伝うことは出来ないんです。やっぱり僕も他人なんです。外から見てるだけじゃ、父を絶望させたものの姿さえ見えない。でも、不思議なんですよ。手の怪我をした瞬間から、それが僕にも見えるようになったんです。あのどうにもならない無慈悲な意思が、僕も標的に加えたんですよ。思うように動かない手を見るたびに、それは僕に呪いの言葉を囁くんです。すると心には嵐が吹き荒れ、何もかもめちゃくちゃにしたくなるんですよ。自分も含めて」

 絶望する鍬形に対し、司がその気持ちを知っているといったのは、こういう経緯があるからである。かれは続けて語る。

「はじめは、僕もどうしたらいいのかわからなかった。あまりにも相手は絶対的すぎて、勝ち目なんか見つからないし、かといってどこにも逃げる場所なんかない。誰も助けてはくれないし、助けられないのもわかる。こんなことなら、死んだ方がずっと楽なんだと、そう思ってました」
「でも、その考えを受け容れてしまうのはいやでした。負けを認めた父だって、その最期のカードだけは切っていない。彼はなんだかんだ言って未だに戦っています。土下座の頭を踏まれながらも。僕は土下座はしたくないですが、ああいうのは素直に尊敬します」
「それに、よく考えてみれば、これはそう悪くもないんですよ」
 僕は、川瀬さんの顔をのぞき込んだ、彼女は顔をしかめて僕の視線を受け止める。
「だって、傲慢でむかつく何かが、僕の手の届くところまで入ってきてるんですよ。他人事なら黙って見ているしかないですが、もう僕は傍観者じゃないんだ。僕の意思で戦うことが出来るんです。ずっと嫌っていたあいつに、意地を見せつけるチャンスじゃないですか」
 僕はそして、川瀬さんの肩に手を置いた。
「川瀬さん、ぼくは思うんですけど、あなたを追いつめてるものも、きっとあのえらそうなやつなんじゃないかな。あなたがここで負けを認めるなんて、僕にとっても、いやなんですよ」
 僕は川瀬さんの肩を揺すった。
「川瀬さん、立ってください。負けちゃ駄目ですよ。運が良ければ、いつの日か一発くらい殴りつけることが出来るかもしれない。それはきっとすごく気持ちがいいはずですよ。このままじゃあんまり情けないじゃないですか。僕はいやなんですよ」

 そして、この話を聴いたあと、雲雀は立ち上がる。司の反骨心が「感染」し、いったん「黒」に変わった心が「白」へと戻ったのだ。

 このとき初めて、雲雀は絶望を知り、「傲慢でむかつく何か」とともにたたかう戦友になった。司は、鍬形にもそうなってほしかったのだろう。その鍬形に対して希美が、こんなふうにいったことがあった。

「クワガタさんは、とても汚くて、みじめだから、だいすき」

 これは、「汚くても、みじめでも、絶望と懸命にたたかっているあなたが好きだ」という意味なのだと、いまならわかる。

 それに対して、一貫して颯爽と余裕をもって行動しているように見えるのが田能村である。かれは、鍬形に殺されるそのときまで、格好いい。

 しかし、ある情報によると、シナリオの瀬戸口廉也は、この田能村が「嫌い」だと発言していたという。それがなぜなのかも、ここまで考えるとわかる。

 田能村は「傲慢でむかつく何か」とのたたかいに参戦していないのである。かれは「白」でも「黒」でもなく、いわば灰色の人間である。

 きわめて高い能力をもってはいるものの、基本的に、その能力の限界の範囲内でしか行動しない。限界に挑もうとはしないのである。その証拠に、鍬形に陥れられたとき、かれは一切釈明しようとはしなかった。

「ごめんね。でもさ、お望み通り、俺はここから消えるよ。それでいいでしょう? そうだよ、俺が飛騨さんを殺した。だけど仲間にばれちゃったから、ここを去るのさ。筋書きに乗るよ」

 田能村がいかに他人に期待していないか、わかる。その田能村が唯一、他人に対し、不可能に思えることを求めたのが、雲雀に対してだ。

「心からきみが好きだ。一緒にここを出よう」
 目をつむって、返事を待つ。いまこの瞬間に死ぬことが出来たら、俺はどれだけ幸福だろう? 多分、答えなんかどうでもいい。思いを告げ、返事を聞くまでのわずかな時間が、黄金の全てなのだと知っている。
「うん、いいよ」
 ひばりんは言った。

 だからこそ、この場面はかけがえがないほど美しい。

 しかし、その田能村も死に、鍬形も結局、司の父や、柚香と同じく、「傲慢でむかつく何か」に敗れ去ってしまった。司のたたかいはどこまでも孤独だ。さすがの司も、そのとき、心が折れかけていたかもしれない。

 しかし、さいごのさいごで、かれは「傲慢でむかつく何か」とたたかう「戦友」を見つける。あろえである。自閉症で言葉も満足にしゃべれないあろえは、司と柚香が初めて逢った教会で、キリスト像を組み立てて死んでいた。司には、その組み立てがあろえのたたかいだったことがわかる。だから、司はいう。

「この像を立てましょう。十字架を立てなおして、そこにくくりつけるんです。あろえが手を接着剤でべとべとにして作った努力の結晶ですから。あろえはそんなの気にしないと思うけど、やっぱりちゃんと飾ってあげたいです。誰が見るわけでもないけど、その前に倒れてしまうかもしれないけど、でも、ちゃんとしてあげたいなと思うんです」

 それに対して、柚香は答える。

「いやですよ。そんなの無意味です。そんなことしたってあろえちゃんは生き返らない。尼子さんがやろうとしていることはいつだって見当はずれで意味がないことばっかりです。もうやめてくださいよ」

 ここでも、司と柚香は「綱引き」をしている。司は柚香に絶望とたたかおうと誘いかけ、柚香はそれは無意味だとはねつける。

「どうしたらいいんだろう。何もかもが無意味だって、どうしようもなく虚しいんだって、そんな感じがたくさん溢れて、どうしても止まらないんです。こんな世界に私は生き残ってしまって、みんなが大事にしていた貴重な生命を、私なんかが無事なまま持たされて、だから大事に生きていかなくちゃいけないって、それはわかるんです。でも私には、ここで生きることの意味が、どうしてもわからないんです。生きていることを、喜べないんです。だって、こんなものを見せられたら、なおさらじゃないですか。何を喜べって言うんですか? 私なんかが、どうしてここに……」

 しかし、その柚香も、遂に、司が像を立てることを手伝う。このとき、柚香の心のなかの絶望は、折れたのだろう。司と柚香の「綱引き」は、司の勝利に終わったのだ。柚香もまた、「傲慢でむかつく何か」とのたたかいに復帰したのだ。

 だから、この物語は、ある意味で、ハッピーエンドである。物語はここで終わっているが、人々のたたかいは、なおも続く、ということがわかる。

 すばらしい。あまりにも、すばらしい。同時代の文藝作品の成果を優に凌ぐ、歴史的傑作というしかない。ぼくも、司のように生きたい。あの「傲慢でむかつく何か」とたたかい、自分の限界に挑戦したいと思う。

 もう、柚香のように、自分の限界を嘆くことはするまい。田能村のように、自分の枠内で生きることもするまい。鍬形のように、「とても汚くて、みじめ」に生きるのだ。雲雀のように、気高く立派に生きるのだ。司と柚香が立てたキリスト像はその高貴なるたたかいの象徴である。

 神の子なんか関係ない。これは、いまはもういない僕の友達がその小さな両手で丹念に一つ一つ積み上げた手あかのついた石のかたまりだ。僕は誇らしくてしかたがない。だから、絶対に立ててやる。そして、このやたらにまぶしすぎる太陽に見せつけてやるんだ。
 僕たちは何があっても決して負けたりはしないって。

 ぼくもまた誇らしくてしかたがない。人間は負けない。たとえどれほどきびしい試練を課せられても、どれほど超えがたい限界を定められても。それが、ひとが生きるということである。ひとのたたかいは続く。

「醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしいです。幸福じゃなくっても、間違いだらけだとしても、人の一生は素晴らしいです」

 すべての戦士たちに祝福を。たたかいは、続く。

SWAN SONG 廉価版

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