自分が好きなものの欠点を認めよう。

そもそも、優れているか否かとかと、好きか嫌いかとは相関関係にはあってもイコールではないわけで、「俺はアニメのlain好きだけど、アレは話が纏まっていない上に、投げっぱなしがカッコイイと思っているフシのある、一部にしか支持されないアニメだよね」ってのは、全然成立する主張なわけである。

ところが、世の中「好き=優れている」と思っている人が多いのか、相手の好きな物・事の欠点を指摘するのはタブーとされているようである。

そもそも、「自分が好きな物=優れた物」だなんてアホな考えさえ起こさなければ、自分が好きな物の欠点を言われても腹は立たないと思うんだが。

 ありますね。

 「タブーとされている」とは思わないけれど、自分の好きなものの欠点を指摘されると怒り出すひとは実在する。ていうか、いっぱいいる。

 「欠点を指摘すること」は必ずしも「存在を否定すること」ではないのだが、その差異を理解できないひとたちである。

 それはまあ、見当はずれの批判をされたら腹も立つだろうが、どう考えてもこれは認めざるをえないだろ、という批判でも怒るひとは怒る。

 たぶんそういうひとは「好き/嫌い」と「良し/悪し」が一直線に繋がっているのだと思う。しかし、やっぱり「好き/嫌い」と「良し/悪し」は別物として考えたほうが良いだろう。

 ぼくの場合、「大好きな迷作」もあれば、「大嫌いな名作」もある。主観的には大好きだが、どうもこれは迷作だよなあ、という作品もあれば、客観的には名作だけれど、どうしても好きになれない、という作品もあるということ。

 以前のラジオでもちょっと話したんだけれど、わが最愛の『らくえん』は欠点だらけのゲームである。ていうか、はっきりいって未完成品なんだよね。

らくえん 〜あいかわらずなぼく。の場合〜

 このゲーム、五人のヒロインが登場するのだが、表紙のパッケージでいちばん目立っているのは千倉沙絵という少女である(パンチラしているめがねっ子)。また、エンディングロールでも、彼女の名前がいちばん最初に出る。

 だから、常識的に考えれば彼女がメインヒロインであってもおかしくないのだが、客観的に見て、『らくえん』のなかで沙絵のシナリオがいちばんおもしろくない。ていうか、どうしようもない出来だ(笑)。

 ラジオのとき、四人でこのゲームについて話したんだけれど、だれひとりとしてこのシナリオを弁護するひとはいなかった。

 どうしてこんなことになったのか? ここから先は想像するしかないのだが、おそらくかなり切羽詰った状況でシナリオの変更があったと考えられる。

 作中のいろいろな要素を細かく検証していくと、おそらく本来は作中作『あいかわらずなぼく。』とシンクロするようなかたちで沙絵のシナリオが進展する予定があったことが予想できる。

 それが何らかの理由で頓挫した挙句、沙絵のシナリオは中途半端な出来になってしまった、ということだと思われる(たぶん)。

 『らくえん』には本来予定されていたシナリオ――『完全版らくえん』とでもいうべきシナリオの痕跡が、いたるところにのこっている。物語に全く関係しない思わせぶりな要素があちこちに散らばっているんだよね……。

 そういうわけで、『らくえん』はお世辞にも完成度が高いとはいえない作品である。客観的に見て、欠点だらけ。でも、ぼくはこの作品が好きだし、めちゃくちゃおもしろいと信じて疑わない。ぼくにとって、作品を愛するとはこういうことである。

 自分が大好きなものの欠点を認められること。自分が大きらいなものの長所を認められること。どちらもなかなかむずかしいが、それができないひとととは話ができない。

 自分が好きなものの欠点を認めよう。その作品を、本当の意味で好きになるために。