「オタク」を主語にするな。


 すでに下火になっているかもしれないけれど、はてなで処女論争が盛り上がっているらしい。発端はここ

天涯孤独、友達もいない、恋愛初心者。こういうキャラに惹かれてしまう。綾波然り、長門然り、こういう要素があるヒロインって何故こんなにも魅力なのかしら。

まぁ結局の所、女性の広い意味での処女性に惹かれてるわけだ。

処女性なんて、現実の世界では全然気にしないけど、アニメのヒロインにとって、処女か非処女は何故か重要になってくる。

 この記事を皮切りに、やっぱり処女じゃなくちゃね、とか、処女崇拝のオタクきめぇとか、いろいろ話題になっているのだとか。ぼくがいうのも何だけれど、業が深いことです。

 ま、じっさいには男性経験のある人気キャラだっているわけで(『月姫』のあのひととか)、そんなものひとそれぞれじゃね、としかいえないわけだけれど、気になるのはやたらに「オタクは〜」と「オタク」を主語にした文章が目立つこと。

 「おれは〜」「わたしは〜」なら気にならないんだけれど、かってに「オタクは処女しか受け付けない」とか決め付けないでほしいと思う。そうじゃないひとだっていっぱいいるわけだから。

 たとえば、この記事

処女・非処女という事実そのものよりも、こういった、「自分のみ」に好意が向いているか一番重要であるように思う。
つまり、一途さ・純粋さ・ひたむきさ(処女性と言ってもいいだろう)が一番重要だ。

ヤンデレツンデレが人気なのも、結局自分にのみ、強い反応(好意)を見せるからであり、その分かりやすさが受けているのだろう。

俺のように処女・非処女を気にしないタイプのオタクでさえ、ヒロインが終始他のキャラに好意を向け続けている様子を見て、いい気分はしないだろう。
そうした物語は、オタク向け作品として成立しえない。

 これも「そういうひともいるよね」というレベルの話だと思うんだよね。

 良い例としてPSで発売されていた『プリズマティカリゼーション』というギャルゲがある。

 このゲーム、5人のヒロインのだれひとりとして主人公に恋愛感情をもっていない。それどころか広い意味での好意を抱いているかどうかすら怪しい。そういう作品でもちゃんと「オタク向け」に成立するのである。

 そもそも、ぼくには「自分に好意を寄せてほしい」という欲望はないと思う。エロゲはプレイするけれども、別にエロゲのキャラクタと恋愛したいわけではない。

 そしてぼくはとくに自分が少数派だとは思わない。ぼくみたいな人間はたくさんいると考える。「オタクは皆美少女キャラに好かれたがっている」というのは、やはり極論だろう。

 端的にいうなら、「オタクは××だ」と「オタク」を主語にする言説のほとんどは何かしらの限界を抱えている。そうじゃないひとが必ずいるからだ。それは自分に見えている範囲の「オタク」を語っているに過ぎない。

 だから、「オタク」を主語にするときは注意が必要である。もちろん、それは「男性」とか「日本人」とか「腐女子」でも同じこと。

 人間の多様性をあなどるべきではない。