ロボットは恋をすることが出来るか?

俺の嫁」が現実になりそうだという話、だと思います。

MSNBCが、ロボットと人間の結婚の可能性が現実のものになりつつあるという記事を掲載していました。
オランダはマーストリヒト大学の人工知能研究者Levyさんによると…「2050年までに、ロボットと人間との結婚が実現するだろう」とのこと。彼はこう語ります。

一度人々が、例えばコスモポリタンなどの雑誌か何かで「ロボットとセックスしてみたけど、最高だったよ!」という情報を耳にしたら、人々は一斉にそれに飛びつくでしょう。

 この記事、ラジオでも話していたのですが、ほんっと面白いですよね。

 何が面白いって、それが実現されるかどうかはさておき、こういう感情が現実のものとしてあることが認知されているということと、それを聞いて自分達の感情が揺さぶられることですよ。

 おそらく古くはピグマリオン王の伝説にはじまり、未来のイヴ達は創作の世界で次々イメージされてきました。オタク文化内でいうと、「ToHeart」のマルチや「ちょびっツ」のちぃ、ぼくのマリー、まほろさん、GS美神のマリア、ペルソナ3のアイギス…うん、山ほどありそうですね。

 これ、単に将来、セックス用アンドロイドが開発されるだろうというだけの話であって、「結婚」とは関係ないんじゃないかな。

 現在次々と発表されるロボットを見ていると、将来、セックス用のロボットが開発されるであろうことは、容易に想像できる。

 ていうか、ただ人間の動作に合わせて動いて、あえぎ声のひとつも出す程度の「ロボット」なら、そりゃ実現するでしょう、いつかは。

 現代でも、こういう代物は存在するわけで、それを稼働させれば良いだけのことなら、2050年までかからないんじゃないかな。

 開発費が見合うかどうかを考えないなら、いまでも開発可能かもしれない。

 ただ、恋愛とか結婚となると、当然、そうはいかないだろう。とりあえず人工知能が発展しないことにはどうしようもない。

 そしてもし、ひとと同じように対話できる人工知能が開発されたら、それはもう、結婚だのセックスどころの話じゃない。人類の存亡にかかわる問題ですね。

 小説の世界では、昔からこの手のセクサロイド小説は書かれてきた。ま、だれでも考えることなんでしょうね。

 それがいま、手塚治虫を経て、『ちょびっツ』だの『To Heart』だの『ネギま!』だのに受け継がれているわけ。

 この手の作品で白眉といえるのは、アシモフの「お気に召すことうけあい」だと思う。いろいろな意味でじつにアシモフらしい話で、ぼくは好き。

 『われはロボット』と一対をなす短編集『ロボットの時代』に収録されている(以下ネタバレあり。ご注意あれ)。

 物語は、クレアという女性のところに、夫の仕事の関係で、「トニイ」と名づけられたロボットが送られてくるところから始まる。

 トニイは髪も目も黒いハンサムな長身の青年で、その動かない表情のすみずみまで驚くほど貴族的な気品がしみこんでおり、クレア・ベルモントはドアのすきまから怖さと狼狽のいりまじった気持でそれを見つめた。

 彼女は、民間人との共同生活のテストのため、3週間、トニイといっしょに暮らさなければならないのだった。

 得体の知れないおぞましい機械――初め、クレアは、かれに恐怖と警戒心を抱く。しかし、トニイのやさしいふるまいは、次第に彼女の孤独な凍てついた心を溶かしていった。

 かれは決して彼女を責めようとはしないし、ほとんど万能に近い能力を備えている。しかも、夫と、いや、ほかのどんな男と比べてさえ、はるかにすばらしい「男性」なのだった。

 そして、その美貌――その黒いひとみの奥に、クレアに対する、忠誠を超えた愛情が垣間見えたことは気のせいだろうか?

 決して愛など宿るはずがないその機械の心に、あたたかい情熱の兆しが燃えはじめた気がするのは、彼女の思い込みに過ぎなかっただろうか?

 そして、トニイの行動は、いつしか、ロボットに許された範囲を逸脱した、何か狂おしいものへと変わっていく。

 ごくりと唾を呑みこみながら両手を凝視する。彼の指に握られたそれがまだうずいている。思いもよらないことだった。彼の指は、はなれる前にクレアの手をやさしくそっと握ったのだ。

 投げだされる拍子に自分の手が彼のなめらかな髪をくしゃくしゃにしたにちがいない。はじめてそれが一本一本の毛髪から――美しい黒い髪の毛からできているのを、彼女はその目で確かめることができた。

 しだいに何かが高まっていく。そして、3週間のテストが終わるその前日、トニイはクレアを抱きしめ、甘くささやく。

 「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない」と定めたロボット三原則第一条によって、人間に危害を加えることは出来ないはずなのに、クレアを抱くその力は強すぎるほどに強かった。

「クレア、わたしには理解させてもらえないことがたくさんあります。これはそのひとつにちがいありません。わたしは明日ここを出ていく、でも出ていきたくないのです。この胸の中にあなたを喜ばせたいという欲求以上のものがあるのです。奇妙ではありませんか?」

 それは、愛の奇跡だっただろうか?

 トニイの顔が迫ってくる。かれの唇はあたたかだが、そこからもれる息はなかった――機械は呼吸しないから。唇が、いまにも、触れそうになる。

 鳴りひびく電話のベル! クレアは正気に戻り、あいては機械に過ぎないことを思い出す。そしてテストは終わり、トニイはUSロボット社に回収されることになった。

 すべては元に戻った。たったひとつ、この出来事を通して、クレアが朗らかに変わったことを除いては。ここまでは、まず、ロマンティックな物語といえる。

 ところで、ぼくがこの短編集を読んだのは十数年前のことなんだけれど、あらためて読み返してみたら、アシモフらしく序文が最高に切れていた。

 こんな感じ。

 ひとつ作家の悪夢というやつをお聞かせしようか?
 ここにかなりの名声を有し、大文豪と自負する作家がいると思っていただきたい。彼に妻を授けよう。小柄な婦人でひとかどの作家だが、むろんかの偉大なる素晴らしき父君には彼女自身の目から見ても世間から見ても、あるいは(ここがいちばん肝心なところだが)夫の目から見ても、足もとにも及ばない。
 ところがこの小柄な夫人が、ある座談の行きがかりから、その場の話題を小説に書きたいと言いだしたと思っていただきたい。すると大文豪はやさしい微笑をうかべてこう言う。「いいとも、おまえ。すぐにお書き」
 そして夫人は書く。本になって出版される、それが一大センセーションをまきおこす。その結果、夫の大文豪は世界的に大文豪と認められているものの、作品が不朽の名作となったのは――事実その作品の標題は代名詞となった――夫人のほうである。
 人並みに自負心のある職業作家にとってこれほど忌まわしい事態があるだろうか。
 ところでこれは作り話ではない。実話である。じっさいにあったことなのだ。

 その文豪とは詩人のシェリーであり、その夫人とはメアリ・シェリーであり、そしてその不朽の名作とは『フランケンシュタイン』である、と話は続く。

 いや、うまいものだねえ。一見ロボットとは全く関係のないところから縷々話を続けて、みごと、ロボット文学の話につなげてしまう。巧みとしかいいようがない。

 作家としては、その名声に反して凡作も多いアシモフだが、作品への興味をかき立てる序文、ないしあとがきを書くことにかんしては、ま、天下無敵といってよろしいでしょうな。

 アシモフの本(とくに一作ごとに序文がつく短編集)は、その部分だけを読んでも十分に満足できるものがすくなくない。贅沢なことに、おまけに本編まで付いてくるのである。素晴らしいね。

 さて、その本編の話に戻ろう。トニイを回収したUSロボット社の技術者たちは、このおどろくべき実験結果について議論する。

 ピーター・ボガードは、「トニイ」ことTN3型には改良の必要があると語る。まさか機械が女主人に惚れるとは! そんなロボットを野放しにするわけにはいかないだろう。

 ところが、スーザン・キャルヴィン博士は別のことを考えていた。TN3型はロボット三原則第一条に則り、彼女の心を癒しただけだというのだ。

 クレアの心ははなはだしい孤独と劣等感にむしばまれていて、自分自身に危害を加えていたため、TN3型はその状態を改善するため、彼女に恋を仕掛けた。

 自分の存在が冷たい機械の心までも溶かしたと思えば、どんな女性でも自信を取り戻す。それが狙いだったというのだ。トニイは賢明だった。かれは成功したのだ。

 そうだろうか? ピーターは疑問を呈す。それが「ふり」であるにしろ、恐ろしい結果を生んだことに変わりはないじゃないか。

 その証拠に、報告書にはこう書かれている。彼女はトニイを避けた。かれが抱きしめたときには悲鳴をあげた。さいごの夜はヒステリーのために眠れなかった――こんなことは許されるべきではない。

 しかし、キャルヴィン博士は動じない。彼女は言い放つ。

「ピーター、あなたは目が見えないのね。わたしもそうだったけれど。TN型は徹底的に作りかえねばなりませんよ。でもあなたの言うような理由からではないの。まったく別の理由、まったく別の。最初にそれを見逃したのが不思議だわ」目がもの思うようにかげった。「おそらくはわたし自身の短所のあらわれでしょうね。いいですか、ピーター。機械は恋することはできません、でも――たとえそれが望みのない恐ろしい恋であっても――女にはできるんです!」

 この身も蓋もない落ちが好きだ。